作家も木から落ちる的な

随分前になるが、銀座の高級寿司屋が名前を変えて移転したので連れて行って頂いた時のこと。
カウンターしかないそのお店は、大将(でええの?名称わからず)のアイデアが詰まった芸術的な料理が素敵な器に入って出てくる上品なところで、選ばれし人しか来れないようなところだった。

席に着いたら、横には二人のおじさまがいて「阿頼耶識(あらやしき)」について語っていた。
私、理解できる!話について行ける!って思って、チラ見したら、う〜ん見た事あるで、と。
誰やろう・・・。あっ!!
その人は有名な先生で、私は昔、その人の本を読んで感動して、遠くの大学で数日にわたって行われた講演にも通ったことがあった。

だんだんと酔いが回られた先生は、阿頼耶識ネタから愛人のネタになり、すっごい下世話な話になって、それが丸聞こえであり、すっかり印象が変わってしまった。
さらに酔いが回られた先生は、大将に味噌汁を頼んだのだが、その日は汁物がないと断られていた。
その瞬間、怒りMAXで罵り始め、數十分それが続いた・・・。
そして怒り狂ってお金を投げ捨てるように机に叩きつけて、「二度と来ねえ!」っつって出てった。
松本のコントのオチやん、笑。
隣にいる者のストレスたるや。
しかも、それがあの名作を書いた先生だなんて!!
私の中でガラガラと音をたてて、何かが崩れた瞬間だった。

深層意識(阿頼耶識)について語り合ってる本人が表面的な事で怒り狂い、愛人とどーのこーのって喋り倒す浅はかさにどえらいショックを受けた。
が、しかし人間だもの?? いや、だもの、にしても・・・。
でも、阿頼耶識って氷山の一角ではなく、その下の下にある氷の分厚い層だ。
スピって言うならば、アカシックレコードに近い記憶の貯蔵庫だ。そこにいい悪いは関係ない。全ての情報がそこにある。
だから、それら発言や行動が彼の氷山の一角であるならば、その人の阿頼耶識はそういう体たらくなもんで出来ていたって事だね。
本っていかにもな事書けるもんな、って思うとなんだかな、、って思うけど、それもあれもその人そのもの。
だって人間だもの。みつを。



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# by mandalaxsuper | 2018-04-07 23:54 | Comments(0)



sarvasham svastir bhavatu サルヴェーシャーン・スワスティル・バヴァトゥ
sarvasham shantir bhavatu サルヴェーシャン:シャンティル・バヴァトゥ
sarvasham purnam bhavatu サルヴェーシャン・プルナン・バヴァトゥ
sarvasham mangalam bhavatu サルヴェーシャン・マンガラン・バヴァトゥ

全ての生きとし生けるものが幸せでありますように
全ての生きとし生けるものが平和でありますように
全ての生きとし生けるものが平静な心で、満ち足りて、完全な存在でありますように
全ての生きとし生けるものに繁栄と祝福がもたらされますように

May all beings be happy
May all beings be peaceful
May all beings be completeness, wholeness and tranquility
May all beings be success and prosperity


①のパラグラフ
sarvesham svastir bhavatu
全ての生きとし生けるものが幸せでありますように

Sarva=全ての
Svasti=恵み
Bhavatu=〜でありますように

・svasti=blessing, blissなど
卍(まんじ)は別名スワスティカと言って、お地蔵さんのマークだったり、ネイティブアメリカンも使っていたり、世界中の吉祥のシンボルにもなっている神からの恵みを表すマークです。が、戦争の時に逆の卍をナチスが使ってしまい、このマーク自体がなんだか、、、になってしまい残念です。まじマンジ!スワスティカのスワスティ、スヴァスティはサンスクリットの恵みという単語が元になっています。

・bhavatu=でありますように
avatu :protected 守られる、恩恵を与えて頂く
ババトゥは、よくマントラに出てくる単語。恩恵をもたらしてくれる何かに感謝と畏敬の念を持ち、祈っている様子。

②のパラグラフ
sarvesham shantir bhavatu
全ての生きとし生けるものが平和でありますように
前の文章とほぼ同じで真ん中が違うだけ

shanti=peace 平和
マントラはshantiとOmで出来ていると言っても過言ではないぐらいにシャンティに満ちている
平和、平安、それが心に一番大切であるからだ。
心を平静に保つ訓練をヨガや瞑想によって培う。それぐらい人っていうのは揺れやすいのだ。
だから、常にシャンティ、シャンティ、シャンティヒと絶対に3回は言うのだ。
落ち着いて!って
幸せは心が平和でなければ感じ得ないだろうし、逆もまた然りで心が平和だからこそ幸せを感じられる
なんてオシャンティ(←使い方間違えてるけど)

③のパラグラフ
sarvesham purnam bhavatu
全ての生きとし生けるものが平静な心で、満ち足りて、完全な存在でありますように

・Purna=完全なるもの

puruna=Abusolute,complete,perfect,full,wholeness
・purnah [nominative, masculine], the perfect being.
・purnam [nominative, neuter], fullness.

完全で絶対的な存在とはなんだろう、ヨガ的にいえばそれは、Brahma(ブラフマ、ブラーマ)に当たる。
ブラフマとは? 宇宙であり、神であり、至高であり、それは何と呼んでも、どんな形でもブラフマには変わりがない。
宇宙=あなたであり、神=あなたであり、至高なるあなた。そして、私達の全ては「ブラフマ」である。
私達は皆そこにつながっているから。英語でいうところの「Source」ソース=源、でも構わない。私達はその一部でもあり、また全体でもある。ワンネスを感じるため。神社の鏡みたいなもので、鏡の向こうにいる神に鏡によって遮られているのではなくて、鏡に写る私たちの我をとれば見える神。
「カガミーガ=カミ」私たちが神の存在で、完全な存在であることを思い出させてくれるもの。
私たちはその大河の一滴で、滴だろうと大河になろうと、水は水であるのに変わりはないのと同じく、私たちは無限の宇宙の源(完全)であり、繋がればずっと完全なるエネルギーに満ち満ちているのである。っていうプルナの解釈。


④のパラグラフ
sarvesham manglam bhavatu
全ての生きとし生けるものに繁栄と祝福がもたらされますように

・mangalan=吉祥
 mangalam=spiritual success, prosperity,auspicious

英語のauspiciousが近いのかな・・・。縁起の良いこと、めでたいこと、
日本語で縁起って何だろうと考えれば仏教用語に遡り、本来の縁起の意味は万物が無量大数の因や縁により成り立っていて私たちが存在している理由がそこにある、って言うことで、多くの人々、多くの恵み、大いなる力などによって私たちが生かされていると言うこと。「おかげさま」である。何億という人々が生きるこの地球の中で全てが複雑に絡み合って関係しあっている。持ちつ持たれつの相互関係で支えられて成り立っている。数えきれないご縁の中で、数えきれないたくさんの人々が生きる中で巡り会うこと有難し(滅多にない)。だからこそ、出会う全ての人が幸せであって欲しいし、うまくいって欲しいし、繁栄して欲しいと願う。
英語でもGod bless you、あなたに祝福がありますように・・・。って言われることがある。それは日本ではあまり言わないけれど、置き換えたらきっと「ありがとう」じゃないかなとも思えてくる。そして、ヨガ的にいうならばそれが「ナマステ」=あなたに感謝(敬意)を表します、ではなかろうか。
ちなみにナマステのナマスは南無阿弥陀仏の南無で、南無はOmなのだ。
④の別訳として付け加えるならば、「全ての生きとし生けるものにありがとう」ってことかもしれない。

下はTina Turnerが歌うSarveshan
432ヘルツで宇宙と繋がる癒し、らしい・・・。
知らんけど。



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# by mandalaxsuper | 2018-03-20 13:59 | Comments(0)

だから天満橋か!

大阪の天満橋に小楠公の碑があるらしい。
小楠公は楠木正行である。そしてうちの先祖でもある。

学生時代は天満橋に学校があり、桜ノ宮の奥に家があったので、いつも淀川の支流である大川沿いにチャリンコを漕いで川を下るような形で通っていた。
天満橋は何かと縁があり、母は結婚前に天満橋のチーズ会社で働いていて、その会社は学校のすぐそばだった。
卒業してからも学校の先生と仲が良く、また学校になぜだか用事もあったので、天満橋にはよく行った。
その後、海外に行ったり云々で10年ほどご無沙汰だったのものの、個人でヨガの傍らでひっそり石の仕事を初めてからは、小さな展示会が天満橋であったりして、度々舞い戻ることになるのだった。
関西を離れ、東京でジュエリーの仕事、石の仕事が個人レベルでなくなっても、やはり大阪行く時は天満橋なのだ。
大阪のミネラルショーが天満橋だから。
展示会が開催されるOMMビルは、大川沿いの天満橋駅の上。
橋下が大阪府知事か市長の時か忘れたけど、急に大阪の川沿いが綺麗になっていった。
天満橋駅でもビルから外に出てすぐ、昔の船着場である八軒屋へのアクセスが簡単になった。
八軒屋は、江戸時代の京都(寺田屋の前)ー大阪間を三十石船で行き来する重要な足であり、坂本龍馬を始め幕末の重要人物達もここで降りて、乗って、していたらしい。今は水上バスが運行している。江戸の画家広重の作品にも八軒屋の絵があるので、機会があれば見ていただきたい。
ここはまた、熊野古道の巡礼をスタートさせる起点でもあったんやって。

その八軒屋に、小楠公の碑が。
今まで散々行ってて、全然知らんかった!!
楠木親子と足利軍の戦った地。なんかよくわからんが、楠木正行(息子)は敵の足利兵を救助し介護し、馬をなくした者には馬を与え、鎧をなくした者には鎧を与えたんやって。ええ人やん・・。敵やのに足利なんとかに尊敬され、正行の墓のそばに埋めてくれってことで、横に墓建てたってよ。
ご先祖様、私もあなたに恥じない生き方をしていきたいです。悔い改めます。もしくは食い改めます。??←そこがすでに恥。

はっ!!私、ヨガ教えてたお寺が足利ゆかりの寺!!
何カルマ??ていうか、ホンマにカルマヨガやん、これしかし。
今ここで、なぜ足利の寺に行くことになっていたのかがわかった。
第1期の私は辞めたけれども、そこでのヨガは先生が代替わりしながらも脈々と続いているそう。
それは天満橋ではないけども。

ひいおばあが夢で毎回見せてくる家系図の巻物。
おばあよ、火事で丸焼けてもうそれごと無いから!!
しかも、誰一人として先祖に興味を持つ家族は居ない。

巻物はどうすることも出来へんけど、来月末にちょうど天満橋行くから拝んでくるとする。




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# by mandalaxsuper | 2018-03-17 18:52 | 観光事業部(大阪) | Comments(0)

真鶴 癒し旅3

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さて、今回の旅のメインイベントはまほさん個人セッション。イベントでのスポットセッションもいいけど、周りに人が居ないから誰も気にせずに対面で、時間もイベントより長めの設定で見てもらえるのが魅力。
古民家を改装したような可愛い和風の建物。道路挟んで目の前は海!なグッドロケーション。
二階に通して頂いて、襖を開けたら、あれここもしかして昔、遊郭でしたか?的なイメージの和のお部屋。(個人的感想です。)
日本人で良かったと思える、畳とお座布団と和机。
座布団に座り懐かし感じに浸った瞬間にセッションがスタートする。

今回は前の続き、、と思っていたのだけれども、なんだか人生相談みたいなことに、笑。
手相も前世の回ももちろんアリだけど、今現在の自分自身の中にあるものをゆっくりと話せるのもいい。アドバイスと後ろの神様がどう思ってるのかを伝えてくれる今までとはまた違ったバージョンのまほさんセッションだった。

私は文章では饒舌に思えるが、かなり口下手でいつもうまく説明が出来ない。
人が一瞬にして「あれ?」って疑問に思うところを全く思えず、帰ってから、または翌日などに「あれ??」と思ったりして非常に時間がかかるのだ。たくさんの人たちの中で会話を楽しむ場合にも、人が話している時に聞きこんでしまい、発言するタイミングを逃してしまったり、返事をするのに時間がかかってしまったりと流れてしまうことしばしば。会話をぽんぽんと弾ませるのが苦手だから、マンツーマンレッスンのように対個人での会話でないとすごく難しく感じてしまう。
だから、個人セッションでしかも20、30分で区切られていないものは自分にとってすごくありがたい。
言いたくてもうまく言えなかった話でも、まほさんが視えた情報からそこをうま〜く広げてくれるのだ。
うまく話せないという弱点がさらに人に説明をするのに苦手意識や怖さを助長して、自分の内側や中身をなかなかさらけ出せない。
自分はオープンな性格なのに喋りが下手だからすっとんきょうな発言で、私=不思議ちゃん認定になってしまうこともあるのだと思う。
まほさんは、なかなか説明しずらい部分もちゃんと拾ってくれて、「こうだよね。」「○○なんじゃない?」って理解して、私は自分でこう思ってたのか、っていう自分でも気づいていなかった部分、知らなかった部分や認めていない部分、潜在意識下の部分をキャッチしてくれるから、私の下手くそなサーブを全部返せる有能なレシーバーのような類い稀な人だと思う。

話し込んでいたら外からドンドン、ピーヒャラとお囃子が聞こえてきた。
同祖神のお祭りの神輿が外を練り歩く音が聞こえてくるも、一番ノリに乗って話している時だったからエア神輿で!音だけ、笑。

ハッと気がついたら1時間を余裕で超えていた。
あ、私は人と真剣に話をしたかったんやな、喋りたかったんやな、理解して欲しかったんやな、封印しようとしても無理なんやな、知らんかった、って思って、なんだかメンタルクリニックやらカウンセリングに行って気づく初期症状のなんだかみたいだよ、と自分で思った。

今まで立場や色々あったり、強がって平気な顔をして涼んでみたり、深くは関わりを持たないようにしてきたけど、自分の弱みを見せれるって実は強みなんじゃないかなと思った。例えば、一般的にパートナーや家族って自分の弱みを否が応でもさらけ出すと思うけど、それは心を許しているからで、それは即ち信頼に他ならない。自分のことを振り返って考えた場合、親ですら甘えられずにずっと来たし、パートナーだったと思われる今までの男性達にも一切甘えることなんてなかったんだから、それは癖と化しているだろう感情のシコリの賜物で、ましてや他の人に弱点を見せるなんてなかなか勇気のいることだ。
それがパートナーでも家族でもない友人、知人であるならばなおのこと。
特に人の悩んでる話をウダウダ聞くなんて、誰がしたいと思うだろう?どうでもよくって時間のムダでしかないようなことを聞かされたくないし、知りたくもないじゃない。そう思ったら、余計に何も言えなかった自分がいる。
自分で悩み(悩みだとも思いたくなくて)を考えずに済む方法はただひとつ、忙しくすることだった。考える油断も隙もなく忙しく没頭することでいらんことを考えず、忘れていく手段を編み出した。でも、人間は感情のある生き物で、どこか押し込んだ感情は何かの時に心の痛みとして、時には肉体の痛みとして浮上してくるんだろう。
泣きたくても泣けずにフリーズするだけの自分を客観視して、もうちょっとわがままでも、言いたいことを言ってみてもいいんじゃないだろうか、って思ってみたりした。そこまで人目を気にせずに自分がハッピーでいてもいいんじゃないだろうか。

弱みを見せられる人を持てる、すでにいる、ということって人生の宝なのかもしれない。
その前に話せる人がいるってことが、幸せなことなのだと思う。

って、私がまほさんのセッションで気づいたことだ。

今、私は人生の大きな大きな舞台に立ち、って乾杯じゃねえか。
もとい、今、私自身が人生の大事なポイントに立っている時だ。本当にすごく大事な節目。私はこれから幸せに生きるんや、そのために自分で自分に足枷をしない!って数年前に決めたのに、癖とは怖いもので、なんだか我慢するのが好きみたいだ・・・。
自分で自分の気持ちに気づいてあげられず、気づいててもそれより人の目や責任やその他を気にしてそっちを優先して自分を後回しにしてなんとなくやり過ごしてきた。私はいつもちゃんと意見を言えない。仕事でもそうだ。だって我慢すれば済む話なんだから。でも本当は我慢は美德でもなんでもないんだ、それはただの自虐行為だから、自分の中の傷を深くしているだけなんだよね。
自分の中にこうしようっていう答えがわかってるのになかなか言えずにタイミングをいつも逃して流してしまってた。実は相当思い切らなければ言えないんだけど、思い切って言った場合のギャップに驚かれたりもするから余計にまた考えてしまって言えないんだよね・・・。

今回は自分というものについて再び深く考えるきっかけをもらった。

話に集中しすぎて、サロンの写真を撮るのをすっかり忘れてしまっていたよ。
サロンの写真はまほさん提供で。


まほさんの連絡先はこちらから。

真鶴町真鶴965-23
真鶴TECH LAB内
ヒーリングサロンISOLA

予約は
https://www.facebook.com/readingmaho/
または、
https://line.me/R/ti/p/%40fdh0635s


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# by mandalaxsuper | 2018-01-15 22:36 | Comments(0)

真鶴 癒し旅2

蕎麦屋さんの優しさ

セッション行く前にまずは腹ごしらえとまほさんのお知り合いの方がされている美味しいと噂の蕎麦カフェに。
坂を上がった路地のさらなる坂の上にあるお蕎麦屋さん。関東に来てもっぱら蕎麦派になった。美味しい蕎麦はつゆにつけなくてもそのままで美味しいのだ。

たまたまさっき上がった魚のお刺身があるけど、ってことでお刺身をオーダーしてもらった。(ガチビーガンを卒業し、お魚まで食べれるようになりました。畜肉系はどうやっても無理やけど。)
ランチにはやっていない、昼のメニューにない事をさらっとお客さんのためにやれちゃうのは接客の鏡だ。というか、その人の真心とまほさんの人柄によるものだね。
天せいろを頼んだら、天部分が盛り盛り!
お腹いっぱいになるまでたくさん召し上がれ、っていう気持ちがこちらに伝わってくる。
麺はやはりつゆにつけなくても美味い!

食べ始めると、動悸やめまいが落ち着いてきた。(原因はただ私が救心世代だっただけかもしれないが、笑)
食べることは最大のグラウンディングだと思った。
もう入らん!と思ったが、プリンが別腹で入ったっていう。

このお店ねサービス精神が素晴らしく感激した。最近忘れてた何気ない人の優しさに触れた。これってあれやん、「お、も、て、な、し。」やん!

「真鶴の人ってこうなんだよね〜」って。
はぁ、なんか、水晶のようにピュアだ。

展示会とかで忙しくて、コンビニのおにぎりだけ、お菓子だけ、って仕方ないけど、やっぱり人が作ったものをお店に出向いて頂くことは素晴らしい時間になる。食餌ではなく、食事。でも食べる事以上の見えないものも頂いてる。気とか心やな。
これぞ、「マナ」だと思う。

ほんまに食べることは重要と常日頃思ってる。ちゃんとしたものを食べてたら心がグレへんから。誰と食べて、誰が誰のために作ったかが見えるもの、それは今や当たり前じゃなくなってきてるから。

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蕎麦カフェ KIBUNE

あ、セッション書けず!笑
次に続く。

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# by mandalaxsuper | 2018-01-15 09:46 | | Comments(0)